Dead Musicians Society

日々の話や音楽工房ピーチジャムのことを綴っていきます

アイシテイルトイッテクレ

こんな記事を見つけました。

gigazine.net

要は "I love you" を「愛している」と訳すのは如何かと。

「愛している」より「大好き」と訳すほうが良いということだそうです。

これには激しく同意いたします。

「愛してる」なんて言葉、映画やドラマ以外で聞いたことありますか?

私は、現実世界ではあまり、いや全く聞いた事がありません、個人的に。

それにしても「愛している」なんて言葉、誰が一体いつどんな時に使うんでしょうかね。

洋画等を見ていると "I love you" という言葉が必ずと言って良い程出てきますね。

でもこれって本当に「愛してる」っていう意味なんでしょうか?

私は違うと思います。

例えば朝、ある男が出がけに妻に言う " I love you" 。

それはこう訳します。

「行ってきます」と。

でそれに対する妻の " I love you ,too " はこうなりますね。

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

そう、その言葉を発する状況によって意味も変わってくるんだと思います。

日本語で言えば「どうも」みたいに意味が変わる感じでしょうか。

それと、そもそも口語では無いような気がします。

文章中、例えば「彼は自然を愛する」とか「彼は何よりも自由を愛する」なんていう感じで使うものなんじゃないでしょうか?

かつて、かの文豪夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳したそうです。

日本人には「愛してる」なんて似合わないと思ったとか思わなかったとか。

やはり「愛してる」という言葉を口にすることに何らかの抵抗があったのだと思います。

ピーナッツシリーズの訳者の谷川俊太郎氏も、この記事と同じく"Love is walking hand in hand" の作品中で "Love"を「大好き」と訳しています。

この作品を初めて読んだ時は目から鱗でしたね。

やはり一番収まりがいい感じがしますね。

 

 

 

スヌーピーの大好きって手をつないで歩くこと

スヌーピーの大好きって手をつないで歩くこと

 

 

マタアウヒマデ

「また逢う日まで」は1971年発表の尾崎紀世彦の超ヒット曲ですよね。

日本人でしたら、聞いたことない方は少ないのではないでしょうか。

彼はこの曲でこの年のレコード大賞日本歌謡大賞と両方の大賞をとり、更に紅白歌合戦への初出場も決め、この曲は彼の人生の中でも最大のヒット曲になりました。

歌を生業としている者なら誰でもヒット曲は欲しいものでしょう。

まして「また逢う日まで」のような国民的大ヒット曲ならなおさらでしょう。

しかし尾崎氏はこの曲の為に想像を絶する苦しみを味わうことになったそうです。

この曲以降もヒット曲は続いたのですが、やはり「また逢う日まで」ほどのものはなかったようです。

そうなると

       尾崎紀世彦 = また逢う日まで

 

という図式が成り立ちます。

そうです、彼はこれからこの「また逢う日まで」を否が応でもでも歌って行かなくてはならなくなったのです。

死ぬまで。

行く先々で「また逢う日まで」をリクエストされる。

本人としては、もう本当に飽き飽きしていたことでしょう。

しかし歌わなければ聴衆は納得しません。

実際歌いたくなくて、なんとかメロディをフェイクしたりしてごまかしていたようです。

確かに良い曲ですが、それが来る日も来る日も繰り返し歌わなければならないとなると、想像しただけでも恐ろしいですね。

きっと尾崎氏以外でも、超ヒット曲を持つ方なら同じ苦しみを味わっていることと思います。

超ヒット曲の代償は永遠の苦しみ。

まるで悪魔に魂を売るようなものなのかも。 

ところでなぜこんな話を?

私が勉強している「Jazz」という音楽は、いわゆるポピュラーな音楽ではありません。

そして、ポピュラーミュージックが再現性の音楽ならば、Jazzは非再現性の音楽とでもいいましょうか。

つまりJazzは「再現」しない音楽、もっと言ったら「再現」させる必要のない音楽なんだと思います。

これは、ある意味フォトグラフィー(写真)にも似ています。

フォトグラフィーは、日常や非日常のある一瞬を切り取るような作業と言われてます。

これはまったくJazzにも言えることです。

例えば「Solar」と言うスタンダードを演奏したとする。

昨日演奏した「Solar」と今日演奏したものでは全く違うものになるはずです。

昨日の演奏と今日の演奏では切り取った場面が違うのです。

もし、それが同じ演奏だったとするなら、それはきっと「Jazz」ではないはず。

しかし、最近の自分の演奏、いやいやもうだいぶ前からですが、結構同じような演奏が多いなと思ってます。

なんというか、やはり安定を求めてしまう自分がおります。

本当はもっと自由に演奏することが許される音楽をやっているのに。

先生によく言われるのが  

 

「ひとつとして同じ演奏はない」

 

つまり今、この時この時の演奏をしないとジャズじゃない、と。

そんな演奏をすれば、必然的に同じ音、同じメロディは出てこない、と。

せっかくジャズをやっているのに同じ演奏の繰り返しを求めるなんてどうかしているな、と思います。

同じことをやるのが嫌いでジャズを始めたはずなのに。

そうだ、ちょっと初心に帰ってみようかな。

 

 

 

 

また逢う日まで

また逢う日まで

 

 

タバコノガイニツイテ

私事ですが去年から禁煙いたしました。

ちょっと検診で引っかかったからというのが理由です。

気がついたこと。

出費が減りました。

これは大きいですね。

あと、体重が増えました。

これはよくある話ですね。

6キロくらいボンと増えました。

ご飯も美味しく感じるかもしれません。

でもちょっと寂しいのは一服するその時間が無くなったこと。

一服といってもただの無駄な時間ではない気がします。

落ち着いて考える時間とでもいいましょうか。

そう、そんな時間が無くなってしまったのです。

以外とこれは大きいかもしれません。

もともと、非喫煙者には分からないかもしれません。

最近は喫煙者がとても肩身の狭い思いをしています。

ジャズクラブでさえ禁煙なんてことも、もう普通らしいです。

ジャズマンと煙草。そんなパーフェクトな組み合わせも、今やもう昔話です。

あと受動喫煙がどうのこうのとか。

でも受動喫煙て、まだ本当に害のあるものなのかもはっきりしていないんだそうですね。

そもそも喫煙と肺がんの因果関係もほとんどないのが現状だそうで。

それは喫煙者が減っているのに肺がん患者が増えているのだから一目瞭然。

タバコがただのスケープゴートにされているというのも分かる気がします。

非喫煙者がよく言います。

 

 百害あって一利なし 

 

さて、そもそもそんな物に高いお金をかけるでしょうか?

利があるから吸うのです。

それこそが「時間」なのだと思います。

一服しながら考える時間。

とても大切なものだと思います。

最近では若者でもタバコを吸わない人が増えているようです。

私は思います。

ひょっとして、昨今おかしな事件が増えているのは、タバコを吸う人が減っているからではないのかな、なんて。

もし何か良からぬことを考えてしまった時、もしタバコを吸って、少し考える時間を持てたなら、その良からぬ考えを思いとどまることができるかもしれません。

タバコは、確かに身体的健康に良い物とは言いません。

しかし精神的健康にはとても良いものだと思います。

もうちょっと喫煙者に優しい世の中に戻って欲しいですね。

 

 

 

煙が目にしみる

煙が目にしみる

 

 

 

シジュウノテナライ

最近は習い事がちょっとしたブームになっているようです。

世の中、アベノミクスでちょっと株価が上がって景気がいいような事を言われてます。しかしその実、庶民にはそれが感じられるレベルまで至っていませんね。

まさに「バーチャル好景気」。

そんな時、贅沢するお金はないけど少しくらいだったら何か習い事でもしてみようか?と考える傾向があるようです。

私の通うピーチジャムは、基本的に月に4回のマンツーマンレッスンとなってます。

月4回という事は週1回とも言えます。

この週1回というのは非常に習い事をするのに好都合なんです。

私の場合、金曜日のレッスンなんですが、例えば月によって金曜が5回ある月もあります。

そんな時は当然お休みになります。

そうすると次のレッスンまで2週間となってしまいますね。

そうなるとどうなるか?

個人差もあるのでしょうが、私の場合は間違いなく「下手」になります。

すぐ怠けてしまうんです。

そう考えると、最低でも週に1回はレッスン受けたいですね。

しかしながら、特に音楽関係のスクールでは、月2回のレッスンが主流になっているようですね。

結論から言いますと、それではほとんど上達しないと思います。

もし、それで上達する方がいたらそもそもレッスンなんて必要ない人なんだと思います。

せっかく習うのなら上手くなりたいもんですよね。

最低でも月4回のレッスンをオススメいたします。

 

 


笹原孝之 Flamenco Guitar Original (Solea)

 

 

 

ラールゴ

ブラックジャックに「万引犬」という話があります。

それはラールゴという犬の話です。

その犬というのは特殊な能力があり、いろいろな災いを予見し、人々を助けるのですが、その方法が「万引き」。

災いに会う人の所有する物をくわえて盗み、それを追わせる事で人々を災難から救うというものです。

ですが、結局人々は見事に災難から逃れる事ができるのですが、見事過ぎて、それはつまり災難なんて最初から無かった事になるわけで、ただこの犬が悪い事をしたという事実が残るだけになってしまうのです。そんなワケでこの犬は厄介者になってしまいます。

ひょんな事からこの犬はブラックジャックの家でしばらく飼われます。

そしてブラックジャックの大切な物を盗み出しますが、捕まってしまい、その盗んだ物を元の場所に返せて言われしぶしぶ返しに家に戻ったところ、地震で家が倒壊。ラールゴだけ死んでしまうのです。

結果、ブラックジャックピノ子は助かるのです。

そして計らずもこの犬の特殊な能力に気づくという話でした。

この話は、ブラックジャックの中でも私のもっとも大好きな話の一つです。

なぜこんな話をするのかと言うと・・・

 

長野市善光寺で壁や柱に落書きが多数見つかった事件で、長野中央署は10日、同市内に住む無職の女(47)を建造物損壊と器物損壊の疑いで逮捕した。

YOMIURI ONLINE

 

 先日、こんな事件がありました。

私の故郷の近くの事件だったので、ちょっと気にしていたんです。

ま、この話に関わらず、一般的なところから考えて、何故こんな事するのかなぁ?なんていう事件があると、どうしても私はこのラールゴの話を思い出してしまうのです。

ひょっとして何かの大きな災いから私たちを救うためにこんな事をしているのかなぁ、なんて思ってしまうのです。

まあ、考えすぎなのかもしれませんけど。

ちなみにこのラールゴ、原作漫画ではちょっとかわいそうな最後を遂げましたが、アニメ化になって、ちゃっかりピノ子の飼い犬になっていました。

めでたし、めでたし。

 

 

 

 

スローイング文化

トランプさんまたやっちゃいましたね。

 

<ハリケーン直撃から2週間経ってやっと被災地にやってきたと思ったら、支援物資を被災者にポンポン投げ始めたトランプの頭の中は?>

 

ニューズウィーク日本版より

 

簡単に言っちゃうと支援物資をバスケットボールよろしく被災者に投げて渡したっていう事ですね。

これに対して被災者は「我々を犬扱いした」と、猛反発したらしいです。

私もこの動画を観ました。

まあ、それほど違和感はありませんでした。

昔から、例えばアメリカ映画なんかを観ると、結構あちらの方って何でも投げて渡す感じがあったからです。

アメリカ映画を観て最初に思ったのはこの「スローイング文化」でした。

例えば車の鍵なんて、もう全力投球かっ?ていうくらいの勢いで投げちゃって、それを相手がすかさずバシッとワンハンドキャッチする感じが何ともカッコ良く見えたものです。

ちょっとでも目測を誤れば大変な事になるでしょうね。

まああれって映画の世界だけの話なのか、私には知る由もありませんが。

映画の世界だととんでもなく貴重な物もビュンビュン投げちゃってますからね。

どうでもいい普通のシーンでもハラハラしてしまいます。

私は個人的に、あれってアメリカのベースボールの文化から来るものなんだと思います。

勝手に。

今回のトランプさんのスローイングはバスケットのシュート感覚でしたけどね。

でもとりあえずあの場ではやらない方がよかったかもしれません。

それをやっちゃうのがトランプさんなんですけどね。

支援物資は投げても仕事は投げ出さないで欲しいもんです。

 

 

 

 

 

ソンナトキニハ・・・

こんにちは。

どうしても許せない相手というのは誰にでもあると思います。

みなさん、色んな方法で乗り越えているのでは?

私はこんな風にしてます。

想像します。

その、嫌な相手が生まれたその日の事を。

今、目の前にいるとても嫌なヤツでも、さすがに生まれた時は祝福されたんだろうって。

その場には、当然そいつの両親がいたりお医者さんがいたりする。

そういう人たちに祝福されて、コイツは生まれてきたんだろうな。

なんて思ったりしてます。

そうすると、あら不思議。

憎しみなんてどこかに消えちゃいます。

それどころか、憐れみや同情すら感じるくらいにもなっちゃいます。

きっと、もともと良いヤツだったのに、どんな道を通ってきたんだろう? 本当に気の毒だなぁ、なんてね。

私は「性善説」を信じるものですから。

 

ところで、シベリア鉄道を東京まで繋ぐという計画が、なんとなく真面目にあるらしい。

もし実現したら、リニアモーターカーを走らせてほしいな。

あんなもの、日本国内じゃあまり意味がなさそうだからね。

それにしても私が生きている内に実現して欲しいもんです。

 

 

 

さらばシベリア鉄道

さらばシベリア鉄道